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首里城地区

首里城がいつ頃に建てられたのかは不明ですが、1427年に建てられた沖縄最古の石碑文「安国山樹花木記碑(あんこくざんじかぼくきひ)」には、次のように書かれていました。
『首里城の周辺を公園のように整備し龍潭を掘り、池をつくった』
これにより、この石碑が建てられた時代つまり1427年にはすでに首里城が建っていたと考えることができます。

首里城は東西にのびた丘陵地帯の東側高台に建てられました。
標高は約130mあり、地質はクチャと呼ばれる粘土層に琉球石灰岩がのっています。
この琉球石灰岩が雨水を保ちやすいことから、高台の首里では豊富な湧き水に恵まれました。
瑞泉門の手前にある「龍樋」や久慶門のそばを流れる「寒水川(スンガー)」は、そのことをよく表しています。

首里城周辺では、こうした豊富な湧き水を水源とする円覚寺放生池・円鑑池・龍潭などの人工池が造られました。またその池には琉球石灰岩の切石を積んだ橋が築かれ、欄干には見事な彫刻が施されていました。

琉球の石造建築の素晴らしさは橋以外にもうかがえます。
歓会門の前にある「園比屋武御嶽」や王家の陵墓「玉陵」などは、琉球石灰岩の石造建造物のなかでも特に形が美しい建造物であり、ニービヌフニとよばれる細粒砂岩(さいりゅうさがん)でできた大棟(最上部)の彫刻や欄干、羽目石に描かれた見事な彫刻は、琉球の石造技術の高さを今に伝えています。

石造り以外の立派な建造物としては、守礼門や円覚寺総門など中国と日本の影響を受けて建てられた文化財があります。
守礼門は中国風の牌漏形式で建てられた門で、三箇所の出入口と入母屋(いりもや)づくりといわれる二重の屋根が特徴です。
円覚寺は鎌倉時代に発祥した禅宗のお寺で、王家の菩提寺として創建されました。
円覚寺には、戦前【国宝】に指定された数多くの建造物がありましたが、沖縄戦で破壊されてしまったことは大変残念なことです。

首里城には太平洋戦争時代の爪跡も残されています。それが第32軍司令部壕跡です。
戦時中、首里城の地下に軍の司令部が設置されたことで、首里一帯は米軍から壊滅的な砲撃を受けることになったのです。

このように約500年に渡り琉球王国の中心地であった首里城の周囲には、今でもたくさんの史跡を確認することができます。

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